中森明菜 応援メッセージ掲示板

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【私説・歌姫明菜world】 - 東 恭彦Mail (男性)

2018/08/07 (Tue) 10:01:48

【私説・歌姫明菜world】(以下かなり長文ですが 明菜ファンに免じて 御容赦のほど・・・お暇な折に 目を通して下さい)

Ⅰ:プロローグ
さて
《危険な高温》が続く毎日
明菜ファンの皆様
どんな風に お過ごしでしょうか?
私は
かなり長文の
《歌姫明菜world》を書き綴ると云う《無謀な試み》をすることで
なんとか かんとか
前向きに生きる力を取り戻そうとしています

ところで さっそく 
《歌姫明菜world》を書き綴ると云う《無謀な試み》に着手します
そもそも 
歌姫明菜worldについては
それぞれの感受性によって さまざまな感じ方があります。
何故か?
歌姫明菜worldで表現されるものは
他の歌手に比べて
歌唱法も多種多彩であり その表現内容も多種多彩であるからです
たとえ 同じ歌であっても
歌姫明菜の年齢の変遷によって そのLIVEの変遷によって
その表現形態も変遷していくからです
表現形態の変遷によって
新鮮な感動を感じ取った方々は
歌姫明菜の理解者となり
歌姫明菜のファンであることに
歓びを抱き続けています

Ⅱ:歌姫明菜は これから先 どんな想いで歌い続けていくのでしょうか? &歌姫明菜は どんな想いを伝えたくて 歌い続けていくのでしょうか?

●日本テレビ系連続ドラマ「ボーダー-犯罪心理捜査ファイル-」主題歌「オフェリア(英語: Ophelia)」において
明菜は このように述べています。⇒「オフェリアの歌詞は、オフェリアの悲しみを言葉にしていますけど、私は、痛みや悲しみを持つ人間すべてに歌っている。」
⇒この《明菜の気持ち》は 下述《明菜が書いたセリフ》の中に 
具体的・感覚的なコトバで表現されています。
⇒私が想うに・・・下述《明菜が書いたセリフ》は 
《明菜の心の奥から溢れ出た『一篇の詩(poem)』》であると感じています。
歌姫明菜は 《歌う詩人》であります!

「オフェリア(英語: Ophelia)」に収録されている間奏の台詞は、
明菜がこの楽曲のデモテープを聴きながら、音と合わせて書いたものである。
この台詞は、ライブなどで披露することのないCD限定と云うのが 明菜の意向である。
《明菜が書いたセリフ》⇒『走ることはできなくても 這うことはできる
光が見えなくても 涙は見える
未来は抱けなくても 過去なら抱ける
声が聞こえなくても 音は聴ける
人には語れなくても 語れる物ならある
泣くことはできなくても 涙は流せる
愛はつかめなくても 欲望はつかめる』ー

●かつて明菜は NHKで放送された《SONGSスペシャル「中森明菜 歌姫復活」》でこう振り返っている。
「気持ちは やっぱり 体と一緒に動くので」・・・
いくら気持ちが そう急いてても
体がついて来てくれなかったら 無理なので・・・
気持ちは ずっとありましたから。
みんなが 早く早くと思ってても
体が無理なので・・・

海外は好きですね
日本でゆっくりできないので・・・
日本ではマスコミの方とか、やっぱりどうしても人目があるんで・・・
外に出るのも ままならないし
スタッフが居心地よく仕事をしやすい、
みんながスムーズに仕事が進む
それプラスイメージの合ったところが
ぴしゃりとハマれば・・・
全部下調べをしますよね。
じゃあここでジャケットを、とか レコーディングの場所もOKだね、とか・・・
いくらイメージ通りの写真が撮れるといっても
莫大な費用がかかるし
1枚のジャケットのためにそれはできないですし。
最低でも3つ~4つの仕事ができないと・・・

仕事の仕方がプロデューサー的?↓

そうですね。思い切りバックですね私は。
今こうして取材をさせていただいてる時は・・・うちのスタッフもタレントさんとして接してくださって。
化粧がちょっと崩れたら 直してくださったり
「今ちょっと髪の毛が・・・」って云ったら 直して下さったり
がらっと変えてくれますけど・・・
ほんとに バックサイドで仕事してる時は一員として・・・
スタッフの一員ですから みんなも そう云う風に接してくれる。
必死なんですよ、次から次へと。

基本の考え方は?↓

常に みんなを喜ばせたい、飽きさせない。
「ああ またこんな感じね」と思われるのが
私は 嫌だったんです。
みんながいくら「好き」って言っても、おんなじような
「好きだけど おんなじね」よりも
「うわあ、全然違うけれど また好き」「これも好きだし これも好き」
・・そういう風にしたくて
だから 可能な限り 自分を変えて 歌い方も変えて
まるで違う歌手の方として 出てきて
「この人いいよね」って云ってもらって
みんなに 新しい中森明菜を見てもらおうと云う気持ちが とにかく一番。

「今日の歌失敗した、違うな」って思うと
「わぁ みんな がっかりしたろうな」「良くなかったな」・・・何倍も来ましたけどね。

常に みんなを びっくりさせたい
これも好き これも好き
飽きられたくない・・・

個性がないと、誰が歌っても 同じ歌になってしまったら
カバーさせていただく意味がないので・・・
「ああ 中森っぽいね」 そういう「ああ」って感じが出てくれたらなと云うのは
絶対ありますし。でも 皆さんの歌をお借りして 歌わせて頂いてるので
「この曲好きだったんだ」と振り返っていただいて。
「どっちもいいね」と言っていただけたら 最高ですね。

カバー曲のレコーディングに
「白い恋人達」があったの
ちょっとびっくりした。

「ああ この曲好きだったんだ」と
「どっちもいいね」と言っていただけたら
最高です。

一番嬉しかったのは?
南佳孝の「スタンダード・ナンバー」をカバーしたこと。
「ヨコハマ A・KU・MA」がこの人の作品だし。

2014年(平成26年)NHK紅白の舞台裏↓

緊張して ヘッドホンをなかなかつけられなかった。

「録画ではないか」って言われていたが
時差14時間、向こうは午前8時46分。
スタジオ入りしたのは現地時間で午前7時すぎ。

歌い終わって
「大丈夫だと思ってたんですけど・・ダメでしたね。
緊張しちゃって・・・ てれちゃうな」

※余談ですが
紅白出場歌手の表記。
明菜さんの場合「東京都清瀬市(当時出身)」は85年頃まで
86年からしばらくは「東京都出身」
出身都道府県の表記がなくなったのはここ数年。

ちなみに「Rojo -Tierra-」に懸ける思いを 『SONGSスペシャル「中森明菜 歌姫復活」』でこうも語っている。↓

「私を支えてくれているファンの人たちを喜ばせたい、という一心な気持ちなので、
画面で見てくれている全ての方に少しでも・・・日々色んなことあるじゃないですか。
大変だったり、身体がしんどかったり、仕事がしんどかったり、精神的にしんどかったり、悲しいことがあったり、
嬉しいこともあったりするんだけど、日々の出来事がちょっとでも、私のお歌を聞いたり、私の姿を見たりすることで、
ほんの少しだけでもいいので 支えになれたり、勇気になれたりとか、喜びに代えていただけたらな、ほんのわずかでいいので。手助けと言ったら偉そうですけど、そういうのが良いなと思います」

Ⅲ:日本テレビ系連続ドラマ「ボーダー-犯罪心理捜査ファイル-」主題歌「オフェリア(英語: Ophelia)」は
現代社会の心の闇を鋭く深くえぐりつつ、優しく強く励ましてくれるようなメッセージ性の強い曲であると思います。

《歌姫明菜は これから先 どんな想いで歌い続けていくのでしょうか? &歌姫明菜は どんな想いを伝えたくて 歌い続けていくのでしょうか?》のコーナーでも
「オフェリア(英語: Ophelia)」の《明菜が書いたセリフ》を掲載しましたが
このコーナーでは
《「オフェリア(英語: Ophelia)」のレビューの視点》から
《明菜が書いたセリフ》を 再掲載することにしました。

「オフェリア(英語: Ophelia)」は ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ハムレット」に登場する主人公・ハムレットの妃候補であった。
恥ずかしながら 私は「ハムレット」を観たことも読んだこともないのですが、「オフェリア」は「ハムレット」の変貌に狂死してしまう、いわば悲劇のヒロインなのだそうです。

作詞は下郷亜紀さん。
傷付くことを恐れ、心の窓を閉ざす「オフェリア」に向けて、
「大丈夫よ なにも怯えることはないの」
「自分のこと愛せる強さ 身につけて」
「涙の川に墜ちて 還らぬ人にならないで」と強いメッセージを送るような歌詞内容。
あるいは オフェリア自身の沈痛な叫びのようにも受け取れます。
私が勝手な深読みをすれば・・・
明菜も若い頃 心身に非情な痛手を受けた体験があり 
「オフェリア」の境遇が かっての自分と重なり合う要素を感じて 
明菜は 「オフェリア」の楽曲のデモテープを聴きながら、
音と合わせて 間奏の台詞を書き綴りたい心境になったと思います。
また、最後の「*Lady to be」という歌詞部分は、劇中の有名な台詞
「To be, or not to be:that is the question」(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。)
から「to be」を選択し、「生きて欲しい」という願いが込められているようにも感じます。

ちなみに 曲中に登場する朗読部分(「走ることは出来なくても 這うことは出来る・・・愛は掴めなくても 欲望は掴める」)
は明菜さん本人が考えたそうですが、曲の「生きて欲しい」というテーマを より一層強めていると思います。

作曲は島野聡さん、編曲は上出優之利さん。
イントロから現実逃避的で浮遊感溢れる雰囲気が漂いますが、サビ部分で この現実逃避を切り裂くように、沈痛なメロディーが響き渡ります。
Wikipediaによれば・・・
本曲について
明菜はー「歌詞は、オフェリアの悲しみを言葉にしていますけど、私は、痛みや悲しみを持つ人間すべてに歌っている。」ーと語っている。
本曲に収録されている間奏の台詞は、明菜がこの楽曲のデモテープを聴きながら、音と合わせて書いたものである。
この台詞は、ライブなどで披露することのないCD限定と云うのが 明菜の意向である。
ちなみに
( )内のコトバは 私のツブヤキです。
すべての歌詞を掲載したいけれども
諸般の事情で そうもいかないので
以下は 「オフェリア(英語: Ophelia)」の歌詞の抜粋であります。
歌姫明菜に敬意を示し 《明菜が書き綴ったセリフ》については 全てのセリフを掲載しました。


ーいい夢も 悪い夢もいらない
 目を閉じて 羊数える

 ひとの心が わからないのと
 わかりすぎてしまうのと
 どちらが幸せ?←(この詞句は まるで私達に問いかけていて
 『答を考えてくれ!』と迫っているようです。
私が思うに・・・悪い知らせは ひとの心が解り過ぎると辛いし
         良い知らせは 人の心が解り過ぎてもいいかな と考えますが・・どうでしょうか?)

 オフェリア 手を伸ばして
 そうよ窓の外は冷たい
 痛みを感じられる心だけが温かい Lady to be←(*「Lady to be」という歌詞部分は
「生きて欲しい」という願いが込められているように感じます。
痛みを感じられる心こそ 人間を幸せにできるし
痛みを感じられる人間が増えれば増えるほど 素晴らしい世の中になると思う。
明菜には 痛みを感じる心があるから・・・
「歌詞は、オフェリアの悲しみを言葉にしていますけど、私は、痛みや悲しみを持つ人間すべてに歌っている。」ーと語っているのです。
歌姫明菜の歌唱の奥底には
『痛みや悲しみを持つ人間すべてに歌っている』と云う『まごころ』が流れているので
歌姫明菜の歌唱が 私の心身を包み込んで 私を癒してくれるのです!

 サボテンみたいに トゲを逆立てる
 傷つくのは怖いから
 とても怖いから

 オフェリア 大丈夫よ
 何も怯えることはないの
 あなたも この私も ここにいていいのだから Lady to be

・・・・ここで間奏が始まり その演奏の間に
明菜のセリフー『走ることはできなくても 這うことはできる
光が見えなくても 涙は見える
未来は抱けなくても 過去なら抱ける
声が聞こえなくても 音は聴ける
人には語れなくても 語れる物ならある
泣くことはできなくても 涙は流せる
愛はつかめなくても 欲望はつかめる』ーが流される

・・・・この台詞が終わると 以下の歌詞が歌われる↓

 オフェリア 自分のこと
 愛せる強さを身につけて
 涙の川に墜ちて 還らぬ人にならないで

Ⅳ:「原始、女は太陽だった」レビュー~平塚らいてう「元始、女性は実に太陽であった」との関連性~
「元始、女性は実に太陽であった」⇒女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてう(1886年・明治19年~1971年・昭和46年)が、雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(1911年・明治44年9月発行)『青鞜』に寄せた発刊の辞の題名である。その本文はこう始まっている。
ー元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。
・・・さて ここに『青鞜』は初声を上げた。日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。

『青鞜』発刊の辞とは言っても 長い文章で、文庫版で十六頁にわたる。
いま世に唱えられる「女性の自由解放」を超えて、
「真の自由解放」をめざすことが、高らかに宣言されている。
この文章が書かれて百年以上がすぎた現在に至っても、
日本社会では まだ通常の「自由解放」すら、十分に実現されていると言いがたい現状からすると、
それを超えた「真の自由解放」を宣言する《平塚らいてう》の言葉は、あまりに突飛なようにも見える。
女性の内にある「潜める天才」を十二分に発揮させることだと説明されてはいるのだが、
いかなる状態がこの「天才」すなわち「太陽」の出現と言えるのか、《いささか謎めいている。》
さて 私の感じ取った想いを述べれば・・・
上述《いささか謎めいているもの》から 想像力を膨らまして  
『作詞家 及川眠子さん』は「原始、女は太陽だった」の作詞をしたと考えます。 
ー 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。ーと云う《平 塚らいてうの詩句》から 想像力を膨らまして
ー「孤独という氷河をさまよった不幸に愛された運命は またこの心を手まねくけど」「夢に迷い心は血を流し」
 と絶望のふちに立たされながらも、
 「今哀しみさえ 生きる力に変えてく」「朝をむかえるため 夜が在ること教えたのは空と大地」
 「原始に生まれた女のように ただありのままに生きていきたい」ーと云う詞句を紡ぎ出したのが
 『作詞家 及川眠子さん』であると感じ取っています。

イントロからフラメンコを彷彿させるような効果音が入り、《宇宙・太陽・地球・生命と云う壮大なテーマ》に女性の生き様を重ねた内容であると思います。本曲はポジティブに生きる女性を歌っていると思います。

それにしても 歌姫明菜worldは 
《切なさ・哀愁・哀しみ・失った愛・取り戻せぬ愛・零れ落ちる愛・もどかしい求愛・もどかしい渇愛・愛の光・寄り添う愛・愛の吐息・愛の癒し 等の感情が入り乱れた胸に訴え掛ける直情的な深い情緒が伴うもの》と云うような《個人の『抒情性(リリシズム lyricism)』》を表現する分野から
《宇宙・太陽・地球・生命と云う壮大なテーマ》を表現する分野にまで及んでいて 素晴らしいと感じています。

Ⅴ:歌姫明菜にとっては 歌手の才能がメインとは云え
《女優・ミュージカル女優・声優・舞台演出・自己衣装選択力》などの才能もある

●そもそも 芸術と云うコトバを辞書で検索すると
ー特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。❶建築・彫刻などの《空間芸術》❷音楽・文学などの《時間芸術》❸演劇・舞踊・映画などの《総合芸術》に分けられる。ーと云う説明文が示される。

歌姫明菜の歌唱活動は  
主に上述❷歌唱活動と云う《時間芸術》であるけれども
明菜が歌唱活動に取り組む姿勢を観ると
例えば
❹Musica Fiesta Tour 2002 (DVD)の中で
特に『 MISSED U』『Siesta ~恋のままで~』『CARNAVAL』『CARMESI 』『 The Heat ~musica fiesta~』では
《明菜worldのミュージカル表現》が
明菜の《女優の才能》と《歌唱表現力》と《自己演出力》などで 支えられている。
すなわち
『感情や意志を示す身体の動きや身のこなしとか
顔の表情や歌唱表現や衣装だけではなく
舞台装置・照明・楽器編成・音響なども(総合的に)』用いて
LIVEの効果をあげようとしている。

上述❹の内容から推理すると
歌姫明菜の才能を見れば
歌手の才能がメインとは云え
《女優・ミュージカル女優・声優・舞台演出・自己衣装選択力》などの才能もあると云えます。
すなわち歌姫明菜の歌唱活動は 上述❸演劇・舞踊などの《総合芸術》でもあると云えます。
ちなみに 歌姫明菜は アニメ《走れメロス》において声優をしていた事を
《笑っていいとも!『テレフォンショッキング』》の番組で タモリ氏に告白していましたので
歌姫明菜は 声優の才能もあるのです。

さて 以下に私の見解を述べれば
ー歌姫明菜の歌唱活動は 余暇を楽しませるために
 〈効用性を超越した自律的な美〉と〈楽しい出来事・癒しの時間〉を与えて
 人間が休息にさえ倦むことを防ぎ、休息を豊かにするのである。ー

Ⅵ:歌姫明菜の存在価値(歌唱表現の独自性=芸術性)

●そもそも 19世紀以来の《唯美主義》は
❶観念的美の世界と❷悪魔的な官能美への惑溺(すなわちデカダンスdécadence)の二極を絶えず往復している。
❶観念的美の世界と❷悪魔的な官能美への惑溺(すなわちデカダンスdécadence)は
いわゆる〈芸術至上主義〉 すなわち〈芸術のための芸術〉と呼ばれ
〈効用性を超越した自律的な美〉を主張している。
1845年に このように主張したV.クーザンは
《文学的肖像と回想》(1881)において
様式としての❷デカダンスdécadenceを
《このうえない成熟に達した芸術であり
輪郭がきわめて曖昧(あいまい)でつかみにくいものを表現しようと格闘し
『腐敗した情熱の〈死にぎわの告白〉や〈妄執のもたらす狂気寸前の幻覚〉を伝えようとするもの》と定義して
《唯美主義の到達した極点》を示した。

明菜の歌姿を視聴していると
《唯美主義》の要素があり
《情感的美の世界》・《歌姿的美の世界》・《官能的美の世界》等を感じ取っているけれども
『腐敗した情熱の〈死にぎわの告白〉や〈妄執のもたらす狂気寸前の幻覚〉』と云うデカダンスdécadenceの香りはしません。
何故か?
歌姫明菜の歌唱表現の奥底には
《❶ポエジーpoesy:詩情(詩的な味わい)❷抒情性(リリシズム lyricism)❸「物のあはれ」と云う「日本人の美意識」》などが
脈々と流れているからであります。
❶ポエジー poesy:詩の世界のもつ情趣。詩情(=詩のもつおもむき。また、詩的な味わい 。⇒詩とは 人の心に訴え,心を清める作用をもつもの。)
❷明菜が歌う唄の《抒情性(リリシズム lyricism)》には
《切なさ・哀愁・哀しみ・失った愛・取り戻せぬ愛・零れ落ちる愛・もどかしい求愛・もどかしい渇愛・愛の光・寄り添う愛・愛の吐息・愛の癒し 等の感情が入り乱れた胸に訴え掛ける直情的な深い情緒が伴うもの》が含まれています。
❸「物のあはれ」と云う「日本人の美意識」
具体的に考えると、現在では どのようなものを「物のあはれ」なるものとしてみるのか。散っている桜花。秋の夜。寂しいところにいる、恋人に逢えぬ一人。
「物のあはれ」とは何なのか。
一つに、「物のあはれ」は平安時代のtaste―平安時代の美的判断の基準を表現する。
もう一つに、「物のあはれ」は 主に恋―あるいはエロスによる、思慕の感じか寂しい感じ、を表現する。
三つ目に、「物のあはれ」は 時間の経過と それによる昔への憧憬を表現する。
この三つの要素から「物のあはれ」が成り立つ。

もっと具体的に
私が歌姫明菜worldに
《「デカダンスdécadenceの香り」を感じ取っていない理由》を述べれば
《明菜の歌唱表現活動の奥底》に
以下のー -で囲む詩文の様な明菜の情念を感じ取っているからであります。

ーはかない夢など見たくない
 浅い酔いなど欲しくない

 『火花散らす 今が欲しい
 理性の支配をしりぞけ
 火花散らす今の感覚が欲しい
 《今》を生きている《現在の一瞬》の中で
 生きていると云う感覚を
 全身で体感できる時間を
 生きる歓びを
 感じていたい

 身も心も
 生き切った後で
 《許される『美しい滅び』》となるように

 美しく咲き終わった後で
 《許される『美しい滅び』》となるようにー

Ⅶ:歌姫明菜の歌唱姿を視聴していて 先ず感じ取る事を云えば・・・
明菜の歌唱のイメージは
その歌唱が
無理矢理に《私を巻き込む圧力》として感じ取ることはなく
その歌唱が
まるで
私の心身を包み込むように 感じ取っています
バラード系の要素の割合が多い歌には
特に
こんな風な感じを抱きます
メッセージ性の要素の割合が多い歌には
私に向かって
『こんな感じのメッセージ・・・どう思う?』と質問してるように思えて
《視聴者に考えさせる時間》さえも 求めてるような感じを抱きます。

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