中森明菜 応援メッセージ掲示板

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【歌姫明菜の存在価値&新しく明菜ファンになるキッカケ】 - 東 恭彦Mail (男性)

2018/03/27 (Tue) 23:36:54

【歌姫明菜の存在価値&新しく明菜ファンになるキッカケ】
突然
春の雪ならぬ真冬の寒さを感じさせるように
牡丹の花びらのような雪が降りはじめたりする気候不順があり・・・
ふと思い立って 以下の様な私の想いを書き綴りたくなりました。
かなりの長文になってスミマセンが
明菜ファンに免じて後容赦のほど。
お暇の折に 目を通して頂ければ 幸いです。

私の場合
例えば 『難破船』とか『予感』とか『赤い花』とか 《歌唱表現の深さ》に感動して 明菜の虜となり
それからあと 《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》にも感動して
明菜の虜となり 現在に至っています。

《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》は
《多種多彩な作曲家・作詞家》によって 明菜の素晴らしい感受性が発揮されたためであると思っています。
更に又《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》は
以下の①②③に述べた《明菜の歌唱表現の原点》によって 明菜の素晴らしい感受性が発揮されたためであると思っています。(私が把握した明菜の素晴らしさを伝えたくて 書き綴りました)

①:SAY 2003.7 スペシャルインタビュー で明菜は次のように答えている。

私、小さい頃から、歌は「演じるもの」だと思っていました。その気持はデビュー以来、ずっと変っていません。歌は3分間のドラマだから、私は歌に出てくる主人公を演じ切らなきゃいけないんだって。

それに私、自分は歌が絶対下手だと思ってますもん。いつも、もっと上手だったらよかったのにって。ただ、自信はないけれど、伝えることはできるかなあとは思うんです。下手だからこそ、精一杯演じないと歌手でいられないから、伝えよう、伝えようって必死に訴えるわけですよ。
-後略-

②:明菜の心の奥底には
唄表現の原点に
上記①のような渇望があるからこそ
演劇的表現が出来ると思っています。
云うまでもなく 明菜の女優としての才能があるからこそ
演劇的表現も出来ると思っています。

③:「空想傾向」(fantasy proneness)にある明菜の感受性は
素晴らしく繊細で
素晴らしい『感度(=刺激に対して感じる度合)』を持ち合わせているために
たとえば
明菜が
自分の歌う《唄の心》を
読み取ろうとしてるうちに
まるで
歌う唄の《登場人物の人格》が
明菜自身に憑依してきて
それに同化してしまって
明菜の歌唱表現が
演技や想像では到達出来ないような
生々しい歌唱表現をすることで
観客は
胸元をわしづかみにされ
明菜worldへ
ぐいぐいと引き込まれてしまう・・・
そこにはもう
まるで
創作と現実の境界がないように感じてしまうほどです


●明菜ほど多種多彩な歌唱表現をする歌手は唯一無二だと思いますし
明菜ほど多種多彩な歌唱表現にチャレンジする歌手は唯一無二だと思っていますから
こんな歌手の存在価値を訴え続けたい想いがあって
このサイトで書き綴っている訳です。
●ちなみに
新しく明菜ファンになった方々が
Twitterやファンサイトでコメントするコトバを読み取れば
《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》に感動している内容を感じることが出来ます。

Re: 【歌姫明菜の存在価値&新しく明菜ファンになるキッカケ】 - 東 恭彦Mail (男性)

2018/04/16 (Mon) 01:52:05

【明菜の歌詞・歌姿からの感動の種類&《声量伝説》の亡霊を振り払え!】

●プロローグ
明菜ファンの皆様 いかがお過ごしでしょうか?
以下いつものことながら かなり長文になりますが
お暇な折に 目を通して頂ければ 幸いです。

Ⅰ:明菜の歌詞・歌姿からの感動の種類

❶はかなくて 危うくて 美しくて 魂の震えが そのまま歌声となっている。
⇒例えば  
『難破船』とか『予感』とか『赤い花』とか 《歌唱表現の深さ》に感動して 明菜の虜になっています。
❷歌姫と云う名の女優であり 歌姫と云う名の詩人である。(明菜がハンドマイクで歌うとき 左手の仕草が美しい・同性の視点でしか迫ることができないような細やかな感情の機微を 女優的表現と 歌唱法の差異で表現でする)⇒明菜がLIVEで歌う唄全てがそうです。LIVEで歌う唄でないと 明菜の女優的表現は見れません。LIVEで歌う唄でないと 明菜の《細やかな感情の表情》は見れません。
❸視聴者の閉ざされた感受性の扉を開いて 今まで感じなかった感動を発見させる。
ー私の場合
 例えば 『難破船』とか『予感』とか『赤い花』とか 《歌唱表現の深さ》に感動して 明菜の虜となり
 それからあと 《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》によって いままでと違う分野の唄に出逢い 今まで感じなかった感動を発見します。
解りやすい例を挙げれば 
明菜の《カバーアルバム『Cage』》の中にある唄については
私にとって 殆ど聴かなかった唄でありましたが 
明菜の歌唱表現で 今まで感じなかった感動を味わった事です。
フォークソング世代である私にとって 懐かしいフォークソングも 明菜の歌唱表現で 
今まで感じなかった感動を発見しています。
そんなこともあって
明菜の虜になり 現在に至っています。

❹感覚的な美と精神的な美*(直接の感覚による美があるが、他方、直接感覚に依存せず 精神的に感じられる美もある)
ちなみに 私は上記❶~❸により 感覚的な美と精神的な美を感じて感動しています。
*美が感覚的に快であるだけならば、decadenceへ向かう力が強くなり 命の急激な滅びの危うさがある。
●上述❶~❹のような《仮想現実(virtual reality)の世界》を
いま生きている現実世界に そのまま持ち込んでいては
あまりに辛すぎる人生になってしまいますね?

そう云った訳で
《明菜の歌唱表現活動の奥底》に
以下のⅡで述べた《溢れ出る明菜の情念》を受け取って
ひとつの安らぎを感じ取っているのです

Ⅱ:《明菜の歌唱表現活動の奥底》には 以下の様な明菜の情念を感じてしまいます

ーはかない夢など見たくない
浅い酔いなど欲しくない

『火花散らす 今が欲しい
理性の支配をしりぞけ
火花散らす今の感覚が欲しい
《今》を生きている《現在の一瞬》の中で
生きていると云う感覚を
全身で体感できる時間を
生きる歓びを
感じていたい


身も心も
生き切った後で
《許される『美しい滅び』》となるように

美しく咲き終わった後で
《許される『美しい滅び』》となるようにー

Ⅲ:《声量伝説》の亡霊を振り払え!

❶ 『Rojo-Tierra- 』(作詞︰川江美奈子・Miran:Miran ⇒Wikipediaによれば
"Miran:Miran"とは明菜のペンネーム)について

2014年大晦日のNHK紅白歌合戦、明菜は米ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で新曲『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』を歌唱した。
有名曲じゃないからダメだとか、《声量》が無いからダメだとか・・・・明菜批判の嵐。一般大衆は、いまだに明菜を《声量伝説》の範疇で聴こうとしているのだろうか?

もう、80年代の《声量》は 意図的に出さないのかも知れない。
その分だけ《明菜歌唱の独自性(=芸術性)》が強く出ている感じ。
《明菜の情念》と《歌唱》が《明菜歌唱の独自性(=芸術性)》を発揮していると思う。
今の明菜にこそ『難破船』を歌って欲しいと思うのは 私だけでしょうか?
『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』は《明菜流ブルース*》なのだと思う。

*そもそも「ブルース」とは
孤独感や悲しみを表現する独唱歌であり
悲しみや孤独の感情は
英語ではしばしば「ブルー(blue)」の色でたとえられることに由来している。
20世紀以降のポピュラー音楽に幅広く影響を与え
ジャズやロックンロールのルーツのひとつとしても知られている。

『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』は 《悲しみや孤独の感情》から脱出するために
ーMs. Una Tierra もっとそばに来て この腕に抱かせて
 生きているぬくもりを 肌が感じる
 熱い予感 終わりじゃない
 私たちは ひとりじゃない ーと訴えている訳であり
『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』は
単純な応援ソングのカタチではなく
私達の情念に向かって
直接に語り掛け励ます応援ソングであり
情念直結型のブルースだと思う。明菜流オリジナルブルースであると思う。
《声の揺れ方の感じ》が全て《*nuanceニュアンス》として聴こえてくる感じである。
ここで云う《*nuanceニュアンス》とは 《感情の微妙な意味合い・色合い・メッセージや、更にまた そのわずかな感情の差異などの表現》のこと。

更に又
明菜が歌う唄を聴いていると
マイクやスピーカーに乗り易く歌う《存在感のある声質》が凄いと思う。
演奏やハーモニーに絶対に埋もれない存在感が常時キープされていることの凄味。
声を張り上げる必要が無い、それと、メロディの歌い終わり(=語尾)の《nuanceニュアンス》が凄い。
柔らかく息を抜くところに フワッとこめられる繊細な《nuanceニュアンス》。


生の明菜が歌う立姿のなかで その顔の表情・歌う息遣い・その眼差し・その視線・その舞い姿など・・・・
舞台上で生の明菜が全身で唄の世界を演じる女優として 明菜ワールドを味わえば
明菜の歌唱世界を より深く味わう事が出来ます

既述したように ここで云う《*nuanceニュアンス》とは 《感情の微妙な意味合い・色合い・メッセージや、更にまた そのわずかな感情の差異などの表現》のことであり
こんな《*nuanceニュアンス》を含む歌唱力は
《声量》にではなく
上述のような素晴らしい《*nuanceニュアンス》の中に存在しているのです。
上述のような素晴らしい《*nuanceニュアンス》は 《明菜の歌唱の独自性(=芸術性)》であると考えています。
一瞬で世界観を完成させる歌唱力の凄味は 数値化されないのです。
一瞬で世界観を完成させる歌唱力の凄味は カラオケマシーンでは数値化されないし 高得点をあげられないのです。

音域が広くて、サビでは声量や高音域を必要とする楽曲が《高難易度曲》。そんな楽曲を選曲して歌えば、歌の巧さはたちまち《見える化》する。更に又 音程が機械的正確さで歌われれば カラオケマシーンでは数値化されて 高得点をあげられるのです。

けれども 歌う唄から溢れ出る情感は カラオケマシーンでは数値化されないし 高得点をあげられないのです。
「声が大きく出ているから巧い」と云うだけでは 測定器ように機械的なリスニングだ。
そんな《声量神話》と 《(注1)カラオケマシーンで高得点をあげられる機械的正確さの音程で歌われる唄》が 多くのリスナーの耳と感性を狂わせてきたと思う。ただし 云うまでもなく 上述(注1)は 溢れ出る情感がない《機械的正確さの音程で歌われる唄》を指しています。

ちなみに 《機械的正確さの音程》で歌うことばかりに精神を集中すると その唄には情感が含まれなくなり
さらに その唄には 《生っぽいgroove感=音楽に乗った状態。その曲のリズムや雰囲気などが気持ち良く感じられる状態》も含まれなくなり そんな歌は 私を感動させることが出来ません。

真っ当な歌手は 《リズムを揺らす歌唱法や声量の強弱・声質で作られるグルーヴ感》を目指します。明菜の場合はそうですよね?云うまでもなく 《リズムを揺らす歌唱法や声量の強弱・声質で作られるグルーヴ感》は カラオケマシーンでは数値化されないし 高得点をあげられないのです。

私は明菜のgroove感の虜になって 明菜ファンを続けています。

「ここ一発」の場面で《声量》を見せつける歌唱法だけでは 私を感動させることが出来ません。
そして、《声量神話》への盲信が「声量に依存しないシンガー」の評価を不当に下げてきたのではなかったか?

しかし、80年代の明菜もまた《声量神話》によって評価を与えらえた側面を否定できない。
明菜の《声量》は『DESIRE -情熱-』(1986年)によって最大限に誇示された。「♪Burning love~~~」で爆発する《ロングトーンの声量》がトレードマークだった。
一方、『難破船』(1987年)には
《声量》を押し殺した凄味があった。明菜は22歳にして《nuanceニュアンスの凄味》を獲得していたと云える。
当時の一般大衆は
明菜に「♪Burning love~~~」の《声量》を求め続けていたようだ。
しかしながら 明菜の場合
《ロングトーンの声量》であっても 上述のような素晴らしい《nuanceニュアンス》を含んでいたので
私を感動させることが出来たのです。

❷《声量伝説》の亡霊を振り払え!

《声量伝説》の亡霊を振り払えば
21世紀の明菜を
より深く理解できるとさえ思ってますが・・・
これ以上は云いません
多種多彩な歌唱表現をする歌姫明菜を
どんな風に受け入れるかは貴方次第ですから・・・

Re: 【歌姫明菜の存在価値&新しく明菜ファンになるキッカケ】 - 東 恭彦Mail (男性)

2018/04/25 (Wed) 17:55:05

《声量伝説の亡霊に従う必要はない》と訴えた理由↓

【明菜の抒情性(リリシズム lyricism)&声質の魅力】

私は 以下ー ー内の既述内容を訴えた事があります。

ー《声量伝説》の亡霊を振り払え!

 《声量伝説》の亡霊を振り払えば
 21世紀の明菜を
 より深く理解できるとさえ思ってますが・・・ー

なぜ 上述内容を訴えたのか?
明菜には
下述内容Ⅰ・Ⅱのような
明菜にしかない独自性(=芸術的な表現方法)があるので
《声量伝説の亡霊》に従う必要はないと訴えたのです!

Ⅰ:今 めくるめく夢のなかに・・・

❶明菜が歌う唄の《抒情性(リリシズム lyricism)》には
《切なさ・哀愁・哀しみ・失った愛・取り戻せぬ愛・零れ落ちる愛・もどかしい求愛・もどかしい渇愛・愛の光・寄り添う愛・愛の吐息・愛の癒し 等の感情が入り乱れた胸に訴え掛ける直情的な深い情緒が伴うもの》が含まれています

上述の❶《抒情性(リリシズム lyricism)》は
歌う明菜の《まごころ》から溢れ出る情感になっていて
その『息遣い』や『溜め息』や『ささやき』 が
はかなくて 危うくて 美しくて
その『表情』や『眼差し』や『身のこなし』が
はかなくて 危うくて 美しくて
いま
めくるめく夢のなかに・・・

《まごころ》は 消えることがない
魂から 魂へと つながつてゆく
それが《まごころ》の姿

哀しさと寂しさを
ひとつひとつ癒してゆく明菜の歌姿は
はかなくて 危うくて 美しくて
いま
めくるめく夢のなかに・・・

Ⅱ:明菜の声質は 私の感覚を震わせて 心の奥に滲みこんで来る

地声の音域は
やや高めの音域。
息がかなり多く、話し声は息が先行して出ている感じの声。
かなり息っぽいので
声帯はあまり閉鎖していませんが、
時にハスキーっぽく 《明菜の個性が際立っている声》が聴こえます。
ハスキーとは言えない程度ですが、《*ほんのりハスキー》です。


  *明菜のhusky voiceは 
   重いhusky voiceではなく 
   ほんのりとした軽めのhusky voiceです 
   ちょっとかすれた声質です

歌声は 地声を活かした非常に息の多い発声。
息が多いと その分だけ声に《*倍音》が乗り、聴く人に心地よい感覚を与えます。
また、声も よく響きます。
鼻腔共鳴も強く
綺麗に 声が上方向に抜けるので、
綺麗な響きの声になっています。

歌声は明るい性質をしているのですが、
特に
バラード系の唄を歌うとき
口をあんまり開けずに歌うため、
この響きが 寂しさを感じたりするのです。
口をあんまり開けずに歌うため、
言葉をさり気なく そーっと置いていくように歌っていくタイプ。
言葉をさり気なく そーっと置いていくと言っても やわらかで優しい声が響きます。
この響きが 寂しさや優しさを感じたりするのです。

ビブラートは ナチュラルに かかっています。

そもそも
《*倍音》とは・・・
鳴っている音以外の、人の耳には聞きとれない音。
倍音がどう鳴っているかで 《声質の音色》が変わります。
倍音が多い声は 明るく響き
倍音が少ない声は 丸くぼやっとした《こもった声》になります。
共鳴は 倍音の量によって決まり
美しく豊かな声は 倍音が多いと言われています。

歌の場合は体が楽器ですから
倍音を出すには 体のある部分の「空間」を使って響かせます。
声を出せば、まず声帯が振動しますよね。
振動で生じた音を 口の中や喉、鼻腔などで共鳴させます。
共鳴すると 倍音が生まれます。

こういった倍音がしっかりと鳴っていると
人は心地よさを感じるそうです。

人を癒やしたり 感動を呼ぼうと思うなら
倍音を上手く活用する必要があると云われます

倍音発声は 発声する本人も 聴く人も 心地よく癒されます。
倍音発声は 究極の《癒しの声》だと思います。

明菜の声質には
倍音発声が溢れているので
明菜が歌う時
私が癒されている訳です

明菜は
特に
バラード系の唄を歌うとき
「語り掛ける」ように 歌います
ただし
語り掛ける言葉や声に
メロディーやリズムを乗せて歌います
メロディーやリズムに乗せて歌う唄に 限りない情感表現があって
歌声に《*倍音》も乗り 
ウィスパーボイスwhisper voice〘=発声においてささやき声(whisper)・もしくはささやきに近い息漏れ声(breathy voice)〙も取り入れて
微妙な声の揺れ、息吹、かすれ等も上手く使って、
情感豊かに表現できるのです

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